IBDの海外ビジネス契約講話

外国判決よりも義理人情が優った事例

日本のM社(精密機器メーカーの大企業)は、ベルギーの一手販売店N社の成績が近年下降気味(ピーク時の3分の2)であることから、改善交渉をすることとなった。M社とN社の取引は、過去15年間も行われてきていた。M社を代表して交渉にあたったのは、ちょっと短気な海外営業担当部長のO氏であった。O氏はベルギーに行き、N社の社長P氏と面談し、営業努力について強く交渉したが、一向にらちがあかなかった。

P氏は、オランダ人やベルギー人の特徴ともいわれる徹底的な合理主義者であり、時々O氏が訪問する場合でも、食事は割カン、自宅に招いたときですらご馳走などはしなかった。ただ、商売はもともと熱心であったが、寄る年波には勝てず、近年、気力が乏しくなってきていたのである。O氏は、日常のP氏のケチ精神にあきれていたが、取引成績がよい間は気にもしなかった。その時の重大なO氏の訪問にもP氏の態度は変わらず、O氏は、「こんなケチだから、M社製品の広告宣伝の経費すら節約しており、また、年寄りの防衛本能から見て、M社とN社の取引に将来性はないだろう。」と判断した。

O氏は、帰国するなり事前通告をして、販売店契約を終了することにした。両者の契約書の「契約期間」条項は次のようになっていることは確認した。

Duration

This Agreement shall remain in full force and effect for one year from the date hereof, and thereafter this Agreement shall continue from year to year on an annual basis unless either Company or Distributor gives notice to the other in writing not less than thirty (30) days prior to the expiration of the current year’s period of this Agreement that it shall not be renewed when such current yearly period expires.

契約期間

本契約は、本契約日から1年間有効に存続するものとし、以後本契約は、1年単位で毎年継続するものとするが、会社又は販売店のいずれかが相手方当事者に対し書面にて、本契約の現行の年単位の期間満了の少なくとも30日前に、当該現行の1年毎の期間終了時に本契約は更新されない旨を通知する場合は、この限りではないものとする。

O氏は、上記契約内容を確認し、各年の12月31日が契約終了期間となっていたので、交渉後間もなくの11月15日にメールと配達証明付き郵便で、次年度に契約は更新されず、本年の12月31日をもって本契約は終了する旨の通知を発した。

ところが、N社がさっさとベルギーの商事裁判所に提訴したので、M社も代理人弁護士を立てて応訴したが、あれよあれよという間に、N社の損害賠償請求が認められ、総額1億2千万円相当の判決が出てしまった(この経緯については割愛する)。驚いたのはO氏である。自分の不手際で、ベルギーにおいてM社の巨額な確定債務をつくってしまったと大きな責任を感じた。しかし、ベルギーの判決は、わが国では強制執行される可能性がほとんどないことを聞いて、この判決を放置しておいた。

間もなく、O氏にとって運が悪いことに、判決を知らない同社の幹部が、こともあろうに、オランダに子会社を設立する企画をし始めた。それが実現すれば、子会社が設立されたとたん、N社がその子会社に強制執行をかけてくることは容易に想像がつく。O氏は悩んだ。そこで、もう一度取引を再開するならば、一手販売権を与えるので、1億2千万円の判決を放棄してくれるようにN社に申し出た。P氏は、この申し出に対して冷たく一蹴した。P氏の上述したような日常の行動哲学から見ても当然の態度であった。どう計算しても、N社がM社と取引を再開したところで、1億2千万円の純利益を得るには少なくとも10年はかかるので、P氏が判決の方を選ぶのは理の当然であった。

O氏は、思いあまって、友人の紹介で国際取引のコンサルタントに相談した。コンサルタント人は、取引経緯、契約書、裁判記録、関係資料等を精査したうえで、両社間の取引にまつわるエピソード等について細かく尋ねた。

コンサルタントは、ベルギーの販売店保護法について解説のうえ、ベルギー人の考え方をO氏に説明してくれた。その過程で、ベルギーの代理店法との関係では前記「契約期間」条項は自動更新方式であって不適切であること、また、「契約終了後の措置」についての条項がないこと、「仲裁条項」も欠くこと、更に契約書全体が不完全なため、敗訴するのは当然であると言った。例えば、「契約終了後の措置」についての条項としては次のようなものが必要と言った。

Steps after Termination

In the event of any termination hereof, in whole or in part, neither party shall be entitled to claim against the other party except in case of material breach, and Distributor hereby expressly and irrevocably waives all and any compensation, damages, payment for good will, severance pay, indemnity or any amount for any other cause by reason of the termination of any relationship between Distributor and Company, or by reason of the termination of this Agreement or any rights hereunder.

終了後の措置

本契約終了の場合、全部又は一部を問わず、いずれの当事者も、実質的な契約違反の場合を除き、相手方に対しクレームする事が出来ないものとし、販売店は、本契約により、明示的に且つ取消す事なくあらゆる賠償、損害、のれんに対する支払い、退職手当、補償又は販売店と会社の関係終了を理由とする又は本契約若しくは本契約に基づく権利の終了を理由とするその他の原因に対する金額を放棄する。

しかし、今となっては後の祭りであった。O氏は、ベルギーのP氏をいかに説得すればよいのか解らなかったので、P氏を説得するためのレター文の作成をコンサルタントに依頼した。コンサルタントは、O氏の要請に応じてP氏宛のレター文を書いてくれた。その内容は、過去の良関係の時代のエピソードを交えて取引経緯を記載したうえ、義理人情に訴えるが如きものであった。O氏は半信半疑でそのままの文書をメールして返事を待っていたところ、P氏から、意外にも話し合いに応じるとの返事が届いた。O氏は、小躍りしてベルギーに飛んで行った。

話し合いはとんとん拍子に進み、驚いたことに、M社がN社の在庫を原価で引き取り、且つ裁判費用の実費をそれに加えた額(合計約2,000 万円)をN社に支払えばそれですべて解決という、M社にとって夢のような結論に達した。この時O氏は、P氏の自宅で例の質素な食事をしながら、P氏から、彼の変心の理由を次のように聞かされた。

『(P氏は、)最後にメールを受け取ったとき、15年間にわたるM社との取引を強く回想せずにはいられなかった。その過程で、O氏がP氏のために長年本当に力になってくれたことの一つ一つが思い出された。O氏は、短気ではあるが気が良い男で人情に厚く、そのおかげで今まで良い取引をさせてもらった。交渉が決裂し、O氏が帰国してすぐに約1カ月の通告で契約を終了する旨の通知が来た時には、P氏も頭にきた。すぐに商事裁判所に駆け込んで立派な判決を得たが、過去を考えるとこのような結果となって残念だった。ところが、最後に過去の取引のストーリーが語られ、誠意が感じられる手紙が届いたので、ここぞと思って和解することにした。本当によい和解内容となってほっとしている。もしも和解していなかったら、大恩を受けたO氏に対して、むしろP氏の方が心を痛め続けたであろう。もちろん、ヨーロッパにあるM社の子会社に対する強制執行も可能であることを弁護士から助言を受けていたが、それを実行することは全然考えていなかった。』

O氏は、この説明を聞いた時、それまでしみったれのうえに、鬼のように見えていたP氏が、実に人情味のある仏様のように見えたという。

日本人と外国人との間の人情話はときどき聞かされるが、義理人情で確定判決まで放棄してくれた外国人の話は、そうザラにあるものではない。しかし、心を通じ合うことによってこのようなことが発生する例は、少なくない。ただ、わが国における義理人情と外国における義理人情は、共通点があるようでいて根本的にはかなり異なっている。外国(先進工業国)における義理人情は、次のように思われる。

a.合理性がある。

b.強い信頼関係をベースとしている。

c.広域広分野で通用する。

d.世間とか社会から強制される性質のものではなく、個人的で独自の価値判断から行われる。

e.結果については、義理人情を果たす根拠との釣り合いがとられることが多い。

f.義理人情を果たすための犠牲は惜しまない。

こう見ると、義理人情というよりも、やはりヒューマニズムといった方がぴったりするようである。このヒューマニズムとわが国の義理人情との共通点は非常にたくさんある。ただ、わが国の世間体を気にする義理人情は外国では通用しそうもない。また、外国の義理人情の特徴として述べたことの大部分が、日本では欠けているようだ。どちらの義理人情またはヒューマニズムがよいかは主観の問題であって判断できないが、いずれにしても、義理人情は日本だけの専売特許ではないことは言える。

その後、O氏は、コンサルタントの協力を得て、世界に約80あるM社の販売店契約書を見直し、全面的に改訂した。(IBDコンサルタント)