世界の海援隊–巻頭言


「世界の海援隊」と題した、このIBDインフォメーションは、グローバルな目、柔軟な思考、先見性、交渉技術、行動などをもって 実践していった「坂本龍馬」を接点として、皆様に国際政治、経済や法律に関する情報や格言をご紹介するなど、幅広い分野の話題を皆様と語り合うためのIBDの機関誌です。

バックナンバー 投稿要項


巻頭言

今なぜ世界の海援隊か

1.龍馬と海援隊

 今回より付けられることとなったIBDインフォメーションの副題である「世界の海援隊」とは、既に多くの方々に知られてい る坂本龍馬に関係する言葉である。即ち、1867年(慶応3年)4月に、土佐藩に海援隊が設立され、その隊長に龍馬が任命された。この海援隊は、龍馬が中心となって結成した亀山社中を承継し、土佐藩に所属するものであったが、長崎を中心として殆ど自由な活動が許されていた。但し、土佐藩からは固定給は与えられていない。隊員は、何らかの志を持った土佐藩出身者が中心で、その隊長に一切の権限が委ねられていたので、むしろ、龍馬の海援隊と言った方が当っている。
 海援隊は、翌年1868年(慶応4年)4月に、土佐藩によって解散させられた。その解散に先立つ前年11月15日に、龍馬は、京都 の近江屋で凶刃に倒れている。
 龍馬は、徳川幕府の大政奉還の直後、西郷隆盛と会った時、新政府の体制と要員配置の草案を作成して西郷に見せた。その時、その中に龍馬の名がないのを不審に思った西郷が、これから何をやるつもりかと尋ねると、「さよう、世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えたと言われている。この言葉の中から拝借したのが、IBDインフォメーションの副題となった「世界の海援隊」である。
 海援隊を、倒幕を目的としたグループの如く見る人が多い。その実際的に果たした役割を考えると、また海援隊に集まった人達を見ると、そのような印象もうけよう。しかしながら、海援隊士の中には、小谷耕造(越前藩出身)のような佐幕派もいたし、海援隊規約を見ると倒幕とか革命は目的としていないことが判る。特に親龍馬と見られた後藤象二郎の助力があったとは言うものの親幕府で実質的な藩のトップであった山内容堂が認めていた(解散も命令したが)ことなどを考えると、倒幕を目的とした集まりということは当らない。隊員の殆どが、血気にはやる若者であって、倒幕派が多かったのであるが、海援隊はそれを目的とはしておらず、もっと大きなことを目的としていたようである。
 海援隊規約には、それを結成した隊員が「海外ノ志アル」者として統一されており、「運輸射利」、「開拓投機」及び「本藩(土佐藩)ノ応援」を主目的とし、その他全員協議して一致した事業を自由に行ってよかったことが推測される。この延長線上に出版事業もあった。特に注目すべきは「和英通韻以呂波便覧」(1868年3月)が実際に出版されていることである。内容は辞書的とはなっているものの、現代と比較すると全く幼稚なものであるが、このようなものに着目すること及びこれを実行したこと自体が大変なことである。更に「万国公法」も出版予定だったと言われているが、このようなものに目を向けた隊員達の先見の明には驚かされる。
 龍馬は「世界の海援隊」と言ったが、これは何を意図したのであろうか。
 よく、龍馬が長生きしたとしたらどのような人物になったであろうかという問に対して、岩崎弥太郎や五代友厚を凌ぐ豪商(又は大経済人)になったであろうと推測する声が多い。その可能性も多少あるが、そうとは思えない。又大政治家だとか大法律家になったかも知れないという声もあるが、これも疑問である。この点については、今後の本誌でぜひ皆様の議論の対象にしていただきたいものである。
 
2.龍馬の偉大なる常識と国際的視野
 龍馬は、その行動において奇想奇略に富んだ人物と言われているが、彼の活躍した当時ではそう見られたかも知れない。何しろ、上級武士ではなくて、裕福とは言え商人出身の郷土という下級武士があれだけの大事を行ったことが奇異に映る。亀山社中という「会社」組織を作ったことも当時としては奇異に映ったであろう。しかも、あの行動力と実践性、小さなことを意に介さない(無作法?)態度など、儒教思想で凝り固まっていた当時の特権階級の目から見れば、また彼らと比較すれば奇異な人物と言われても仕方なかったであろう。しかし、現在の日本人が彼を奇異な人物と評することはどうかと思う。
 戦国時代の百姓の日記に、武士達が戦った直後のまだ煙がただよい死体がゴロゴロしている戦場を、京都の町人達が弁当を持って見物に行ったことに驚いて、その旨記しているものがあった。武士はつまらないことをする連中で、またその町人達はあきれた連中だと書溜めているのである。私が思うに、戦場見物と洒落込んだ町人達はナウイが、このような事柄を冷静に日記にした百姓もナウイ。ここにも、日本の現代文化の安定的な基礎があったことが判るのである。むしろ、このような安定的な思考方法で事に当った代表者が、龍馬ではないかと感じられる。
 本誌では毎号で龍馬に関する記事を掲載することになっているので、種々の角度から彼の人物像が表現され、彼の業績が取上げられようが、現代人でも、彼ほど進んだ考え方で事に当ることのできる人は非常に少ないのではなかろうか。彼は、交渉に当たって常に冷静で、交渉相手が誰であれ臆することなく、常識的なことを理論化し、実行しているにすぎない。しかし、これは現代人といえども非常に難しいことである。当時においてはなおさらである。土佐藩の勤王党の中には、藩の改革を奉上して、軽格分際もわきまえずそのようなことを行ったことを理由として切腹を申し付けられた者が居たが、そのような社会にあって、龍馬の行動は特に光り輝いている。海援隊の船である「いろは丸」が親藩である紀伊藩の船と衝突した時の彼の損害賠償請求の交渉は、堂々たるもので、特にその中で当時日本に存在しなかった外国の海事法を持ち込んでいることは、彼がどれほどの「偉大な常識人」であったか測り知れないのである。
 社会において常識といえば、特定の社会の仕組みとか価値観を前提として、それを是認し且つその範囲内での知識で構成されていることが多い。しかし、このような常識に止まり、その範囲内で行動する限りにおいては、社会の発展は遅々としたものになろう。逆にこのような社会では、突出した理論が現れてこれを一部の指導者が意図的又は盲目的に利用しようとした時、これを止めようとする力も発生しないもので、そのまま社会全体が狂気となる恐れがあるのである。かかる「突出した理論」と龍馬の「偉大な常識」とは絶対に区別しなければならない。後者には、非常に広い視野からの合理性が存在しているのである。
 海援隊員の一人であった陸奥宗光は、後に明治政府の外務大臣となって、徳川幕府が締結した不平等条約の改定交渉を行っている。龍馬がもっと長く存命し、海援隊が存続したならば、自ら国際的に雄飛するとともに、「援」の字が示すとおり、他の国際的に活動しようとした人、企業、公的機関を偉大な国際的常識で援助し、日本をオーソドックスな国際社会の一人前の大人に仕上げたような気がする。土佐の海援隊に留まらなかったことは勿論のこと、彼は外国人、外国企業、外国の公的機関等でも援助できるほどのスケールを持って、それこそ世界の海援隊を実現させたかも知れない。龍馬の如き日本人が多く育っていたならば、不幸な第二次世界大戦でも避けることができたであろうが、現実は歴史が示すとおりである。
 
3.IBDの事業目的
 IBDは、1982年7月に心ある個人、企業及び公的機関の方々の賛同を得て設立され、現在100社以上(個人会員は別)の会員を主対象として国際事業のお手伝いをさせていただいている。また、国際経済活動に必要な及び関連するテーマを内部研究し、出版物、懇談会、研修会等で発表しているが、最近発刊した、英和対訳の国際取引契約書式集もその一つである。IBDのコンサルティングは、わが国と諸外国との平等互恵の経済関係の樹立を指標としており、IBDは、特に日本企業に対して、常に「国際的常識」をベースとしてダイナミックな活動を安定的に進めていただくため、口頭によるアドバイス、資料の提供、その他種々のお手伝いをしている。
 思うにわが国の団体とか個人が、力の論理の受入れ、欧米先進国に対するコンプレックス、その場しのぎの対策、抽象的な放言、型にはまり過ぎた行動、知識過剰で知恵が押しつぶされているような萎縮的な態度等を改めなければ、真の意味の一流の国際的国家は形成できそうもない。(相も変わらぬこのような現象を龍馬が見ると、彼は例の調子でニヤニヤ笑いそうである。)IBDは、これらを改善するためにも、微力ながら努力してゆきたいと思っているし、現実のコンサルティング及び出版物などでコツコツとこれを実施しているつもりである。更に今後は、国際的取引戦略及びこれに付随する必要情報に関するIBD特有のコンピュータ・データベースを構築し、広く社会の利用に供することとしており、既にそのための作業にも着手し ている。
 
4.本誌の内容と方向
 IBDインフォメーションは、発刊以来今までに29回発行しているが、いずれも4ページの粗末なものであった。しかもIBDの会員を中心に、各月わずかに500部しか配布していない。しかし、内容的には読者の方々より好評をいただいてきた。この度、これを充実することを決定し、如何なるものにするかを内部で検討したのであるが、IBDの事業目的が、海援隊が目指した事業と共通点がありそうな気がして、「世界の海援隊」という副題を付けて発展的に再スタートすることとしたのである。やはり未だ小冊子の域を脱していないが、内容的には、
 1) 龍馬の理論と業績の研究とその発展促進
 2) 国際経済、政治等に関する具体的提言
 3) 国際事業及び取引に関する実務
等を中心的なものとし、また時宜に即したトピックス等も取り上げてゆきたいと思っている。掲載記事は、当初、IBDの社員の手によることは勿論であるが、将来的には、このIBDインフォメーション「世界の海援隊」の定期購読者からの寄稿文を中心としたいと考えている。寄稿要領等については、別途に説明させて戴いているのでそれをご覧いただきたい。
 このような観点から、海援隊員に相当するのはむしろ読者諸兄であり、IBDは、海援隊の船の役割を演じたいと思っている。従って、読者になっていただくのは、企業とか団体ではなく、血の通った健全な意思を持つ個人を対象としたい。ぜひ多くの方々に賛同していただきたいと念じている。
 常に世界の中の日本、その日本の中の自分を認識し、偉大な常識を持って行動する方々に敬意を表しつつ。

(1986年5月号 より)
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