世界の海援隊–2017年9月

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2017年9月26日更新【最新号】

【提言】

○○ファーストは、思考スタートとして正しいが!

海援隊1709トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」と、事あるごとに演説するので、それを自国中心的と批判する者が多い。しかし、彼は、米国の大統領であるので、当然のことを言っているだけである。早速、都知事選で小池候補が、「都民ファースト」と言って、見事に当選した。前者は、世界の他国との関係において、大統領の任務として、米国を守ることが第1であると言っている。後者は、都庁職員や都議会議員等との関係において、都知事の任務として、都民の意思が第1であると言っているようだ。だから、トランプ大統領の言うファーストと小池知事の言うファーストとは、少し次元と意味が異なる。

紀元前6~5世紀に栄えたコーサラ国の王のプラセーナジットは、月の綺麗なある日の夜、夫婦で高楼に上ってロマンティックな気分になった。そこで、マッリカー夫人に「貴女にとってこの世で一番愛しいのは誰かね。」と尋ねた。彼は、当然「貴方です。」という答えを期待していた。ところが夫人は、「それは自分自身です。」と答えた。そういえば、ということで、彼自身も考えてみると彼が一番愛しいのは彼自身であると分かった。そこで、利己主義的なこの事実を疑問に思い、釈尊に尋ねた。釈尊は、その事実を即座に認めて、次のように説いた。

「人の思いは、何処にでも行くことができる。けれども、何処に行こうとも、人は己よりも愛しいものを見出すことはできない。それと同じように、全ての他の人々にとっても、自己はこの上もなく愛しい。されば、己の愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ。」

トランプ氏も、アメリカ・ファーストと言っても、米国の大統領となった以上、米国を一番愛すると言っているのであって、他の者を害するとまで言っているのではない。ただ、アメリカ・ファーストが強過ぎて、他国との条約や相互信頼関係を損なうことがあってはならないことは、十分承知している筈である。この「自己」ファーストは、どの国にも言えるので、その為政者が、自国を強化することも自由である。然しながら、自己愛が過ぎて、その結果として他の者を害してはならないことが原則である。

釈尊は、また、「何人であれ、身(行為)、口(言葉)及び意(思想)によって、悪しき業をなす者は、よく自己を護る人ではない。何人であれ、身口意の三業において善き業をなす者は、彼こそ、よく自己を護る人であると言うことができる。」とも仰っている。

さて、北朝鮮の核武装について、わが国でも、喧々諤々の議論がある。核武装容認論、協議続行論、威嚇論、経済制裁論、斬首論、先制攻撃論、日本の核武装論等々である。その中の協議続行論と言っても、同国の核武装やミサイル放棄を前提とするようなので、北朝鮮との協議すら叶わないのが実情のようである。同国としては、世界中で、8か国が核武装しており、20か国程度が欧米の核抑止策の傘下に入っているので、また、中国とロシアの核抑止策への参加による安全保障が信じられないので、更には、イラクのように核武装がなかったが故に、政権が崩壊させられ、為政者が殺された例もあるので、核武装放棄を前提とするような協議に入れないようである。

米国は、北朝鮮の度重なる挑発には怯えていないが、現在のところ覇権国家である米国の覇権が脅かされることを嫌って、同盟国が攻撃されることを防ぐ必要もある。ただ、実際に戦争となると、トランプ氏のことであるから、同盟国よりも、アメリカ・ファーストとなる可能性を否定できないけれども。確かに米国のような大国にとっては、北朝鮮を壊滅させることは容易であろう。然しながら、その作戦過程で、一般人民も含めて大量の犠牲者が発生する可能性が大である。よって、軍事行動は起こすことは極めて難しい。

朝鮮民族は、南北朝鮮を中心に7,000万人ほどいて、中国内にも、推定500万人ほどいるようだ。朝鮮民族と言っても、そのルーツは多岐に亙るが、かなり広い文化圏を形成している。然しながら、歴史的には、高麗時代、李氏朝鮮時代を除いて、様々な理由で、朝鮮民族の国家は分裂を繰り返した。統一時代も、内部の権力争いは凄まじく、同民族間でも繰り返し多くの血が流れている。ただ、朝鮮半島の統一国家は、朝鮮民族の悲願であることを理解する必要がある。

一説によると、韓国には、いずれ南北朝鮮が統一されるので、核保有国に向かうのを期待する意見すらあるらしい。多分これについては、中国、ロシア、米国は、容認しそうもない。そうなると、核について、完全に米国の支配下にあるわが国も、独立的核武装論が出て、現時点で核武装をしている列強国家の立場を脅かす可能性が大だからである。

わが国は世界で唯一の核爆弾の被爆国である。核兵器の悲惨さは、世界のどの国民よりも知っている。よって、核拡散防止条約には参加している。然しながら、わが国は、世界情勢と米国との安保条約の関係から、核兵器禁止条約には参加していない。特に、わが国を取り巻く朝鮮半島情勢、中国、ロシアの核武装に如何に対処するかが大きな懸案となっているからでもある。わが国と韓国とには軍事同盟は存在しないので、万が一、南北朝鮮が統一され、それが核武装をしているとすれば、わが国の現状は、このままでは済まされなくなるであろう。核武装したロシア、中国、朝鮮半島に囲まれたわが国は、米国の核の傘で保護されていると言っても、日本国民の保護は極めて難しくなる。即ち、北朝鮮の核武装が実現されると、わが国も核武装せざるを得なくなるのである。

北朝鮮の核武装の阻止のために、わが国は米国に要請し、米国は中国にその責任を負荷している。ロシアはそれを監視している。しかし、北朝鮮の核武装化を最も恐れねばならないのは、北朝鮮によって通常のミサイルで攻撃され得るわが国である。ところが、わが国のマスコミや評論家達は、わが国の存亡危機を横において、米国、中国、北朝鮮の交渉について評論しつつ、北朝鮮のミサイルの飛翔距離や高度が何キロだったなどと、的外れの井戸端会議のようなことを繰り返しているようだ。北朝鮮は、米国を攻撃する意図は全くないし、韓国の同じ民族を核攻撃する筈もなく、むしろ核攻撃するとすればわが国なのである。よって、何はともあれ、わが国こそが現実的解決に向けた対応をすべき立場にある。

わが国は、ミサイル技術、核兵器製造技術を保有しているし、現時点で6,000発の核弾丸を製造できるプルトニュウムを有している。ただ、わが国は核兵器の開発は自重していて、世界中の国はこれを認識しているが、日米原子力協定で、わが国の核武装は米国によってコントロールされていることで、他国に不安を与えていない。然しながら、この現状から、ロシアの不当な北方領土の占有継続、中国の尖閣諸島への侵犯、朝鮮半島によるわが国に対する敵視政策、拉致問題の未解決が続くならば、まして北朝鮮の核武装を容認することがあるならば、わが国は、自国防衛上、大決断をせざるを得なくなるであろう。即ち、わが国の核武装である。この点も、北朝鮮はもとより、韓国、中国、ロシア、米国、その他の関係国に認識して頂き、わが国を核武装まで追い詰めないようにお願いしなければならない。

核戦争はおろか、どのような戦争においても、悲惨な被害を受けるのは一般国民である。よって、戦争はやってはならない。ただ、カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz:1780年7月~1831年11月)がその戦争論で言ったように「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である。」ことも、一つの真理かもしれない。しかし、今後いかなる政治的選択をするのかは、わが国の問題なのである。故に、「わが国こそが、極東アジア地域についての安全の鍵を握っている」とも言えるのである。

わが国も、「日本ファースト」と言ってよい。その上で、他人任せではないわが国独自の行動を起こす必要がある。ただ、わが国は、如何なる場合においても、「身口意の三業において善き業をなす者」でなければならず、「武士道(もののふのみち)」を貫くことが絶対条件である。(物部一二三)

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(第19回)
「共同研究開発の形態と目的」

共同研究開発 (Joint Research & Development) は、複数の者が共同して1つの技術を研究開発することです。1つの技術というのは、本当に1個の技術であることもありますし、複数の技術の集合体を言うこともあります。また、その技術で1種の製品しか生産できないこともありますし、複数の製品を生産できることもあります。勿論、具体的な製品の製造を目的としないで、基礎的な技術を共同研究開発することもあります。以下共同研究開発を複数当事者の取引と見て、共同研究開発の形態や目的について考えてみましょう。

1)複数の者が同一または同様製品を開発して製造販売することを意図する場合

一般的には2企業が、各々の研究開発の分担を決めて、研究開発を進めます。技術が完成したときには、別々に製品を製造することになりますが、販売においては各々異なった商標を使用したり、各々の販売地域を定める方法をとります。

2)共同研究開発で得た技術を利用して、各々が別の製品を製造販売することを意図する場合

この場合、各々が全く別の製品を製造することになりますが、各々の製品が無関係である場合と、各々の製品の相互間で規格を統一して補完関係を持たせる場合があります。後者の場合、例えば、1製品のボディ部分と内部装置、本体と付属品等のように分業的製造販売が行われます。相互に相手の製造した物を最悪条件で購入して、各々が完成品として販売することもあります。

3)1物品を共同して完成し、高付加価値を発生させて販売することを意図する場合

例えばプラント輸出をするとき、製品の製造工程技術を研究開発する者と、設備機器のエンジニアリングを研究する者とが共同研究開発をしてプラントを完成して輸出(販売)するようなケースです。1物品と言っても、プラントのように大きなもので、共同研究開発の範囲も内容も大規模となります。

4)複数の当事者が共同研究開発をするが、各々その目的を異にする場合

例えば薬品会社が医師とか学者と共同研究開発をすることがありますが、薬品会社の目的は薬品という製品を製造販売することであり、医師とか学者の目的は、研究開発の成果を自分の名声を得るための実績としたり学問的興味を満たすとかの非常にアカデミックなものに向けられたりしていることがあります。またある当事者は、基礎的汎用技術の研究開発をして、その技術をライセンスすることを目的とし、一方の当事者は、その技術を組み込んだ具体的製品の製造販売を目的とするようなこともあります。

以上、主な共同研究開発の態様や目的を述べてみましたが、これら以外にも種々のバラエティーがあります。共同研究開発という複数当事者間の取引内容は、上記のような態様や目的により各々異なったものとなってゆきます。しかしながら、実務面においては、ある当事者が自ら意図する共同研究開発の目的を隠して取引交渉を進めてゆくことも珍しくありません。従ってその相手方当事者は、その当事者の隠された目的を見抜くことが必要と言えます。(つづく)

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「国際契約の成立と発効について」
 Q

国際契約を締結するにあたって、その成立と発効について、法律的にわが国と外国では大きな違いがあるのでしょうか。また、わが国では契約書に押印をしますが、外国では捺印ということを耳にします。押印と捺印とでは、その意義にどのような違いがあるのでしょうか。説明をお願いします。
A
世界のいずれの国の法律の下でも、契約が成立するためには、相対立する数個の意思表示が合致することが欠くことのできない要件となっています。契約は、申込みと承諾とによって成立するのが普通ですが、申込みを「相手方の承諾があれば直ちに契約を成立させる確定的な意思表示」、承諾を「被申込み者が申込みに応じてなす契約成立に向けての意思表示」と定義づけた場合、わが国の民法上の意思実現による契約成立や、解釈上認められている交叉申込みによる契約成立は一つの便法であるとも言えます。契約は、合意もしくはこれと同視される法律要件があれば成立するとするのがわが国の契約解釈であり、成立した契約が当事者の目的とした法律効果を発生させるためには、契約の内容が可能であること、契約の内容が確定し得るものであること、適法且つ社会的妥当性があることという3つの効力発生要件が必要であるとされています。

わが国においては、契約の成立と発効とを明確に区別することはあまり行なわれていませんが、英米法では、一般的に訴訟法的なとらえ方をするために、発効、即ち公権力の発動によって法的拘束による保護を享受することを非常に重要視します。例えば、Unenforceable Contractといえば、契約としては有効に成立しているにも拘らず、それに基づいて訴を提起することができない契約です。例えば、書面化されていない契約で『詐欺法』の適用を受けるものや、出訴期限を徒過した契約がそれにあたります。出訴期限とは、いわば訴権の時効であって、一定期間を徒過すると出訴できなくなってしまうとされるものです。英米法の下においては、捺印契約が12年、単純契約が6年で unenforceableの状態となってしまうことになっています。

また、英米法特有なものとしては、契約の成立には法律上の効果意思が必要であることに注意すべきです。即ち、当事者がその合意に法律上の効果を発生させる意思を持っているか、または少なくともその意思を持っていると認められることが必要なのです。そのような効果意思は、諸般の事情から判断されるのであって、例えば、夫婦間の契約は法律的効果までは予定していないのが通例であるとされていますが(但し、契約書が正当に交わされている場合には、それが有効となります。わが国では、夫婦間の契約はいつでも取り消すことができますが、一応有効に成立するとされています。)、商事契約においては、効果意思を明示的に否定しない限りその旨の効果意思は当然予定されているものと解されます。本来の意味における英米法上の契約は、明確な合意がなければ成立しませんし、それが強制し得るための最低要件ということができます。

ここで、わが国の押印と英米法の捺印との違いを簡単に申し上げておきます。
押印は、書類等の作成者が、作成者自身の意思によること、または作成者の責任を明らかにするために、作成者または責任者の印を押すことを意味します。わが国の法令上、国民または公の機関に対して押印を義務づけている場合もありますが、社会生活の実態面では、書類内容についての責任を明確にするために、自署に加えて、または自署に代えて押印を要求されることが多いと言えます。

英米法系の国々における捺印という概念は、いわゆる捺印証書(Deed)に端を発しています。捺印証書については、伝統的に現存するものもありますが(例えば、Considerationが存在しない契約は捺印証書にする等。)現在では、商事契約一般では、捺印そのものの意味は失われたと解しても良いでしょう。即ち、わが国においては、記名押印が自署に代わりうる場合に押印そのものの意味が生じてきます。英米法系の国々のように自署による署名と、いわゆる記名との区別をしない考え方、更に、捺印(Seal)は契約を国王が Authorizeしたという証拠とされたという経緯からしても、本来的な捺印の意味が失われてくるのは当然と言えます。自署による署名にせよ、印刷、タイプライティング、記号等にせよ、また捺印にせよ、要は署名主体を明確にし、同一性が識別できればそれで足りるというのが英米法系の国々の考え方です。制定法等で捺印が要求されている場合には、様々な理由から、特に例外としてその必要性が論じられているものと見るべきです。
(IBDコンサルタント)

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